akatsugu side | |||
彼は今でも私のパートナーである 私のMac人生は彼から始まって彼と共にあるといっても過言ではない。 |
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それは秋葉での事である。 初夏の日差しを燦々と受けながらSEとclassicが私の方を向いて座っているのである。目の前でclassicが売れていき、残ったSEと私の目があった。ひとめぼれであった。私はSEを遠路はるばる連れて帰ることにした。運命的出会いを果たした我々は二人三脚の生活をはじめた。 私の生活はいつも彼と共にあった。 私が学生時代を過ごした宇都宮は、雷の多い土地柄であった。ひとたび雷でも鳴ろうものならどしゃぶりの中自転車かっとばして帰る。私のSEの繊細なアナログボードに雷の誘導電撃なんてもっての他である。自分が雨に濡れることなど気にとめる事すらなかった。夏の暑い日には、お互い昼寝して英気を養い、深夜涼しくなってから活動し始めたりもした。 課題レポートを作成するにあたって彼は最高のパートナーである。メガドライブ並(SEGAから出ていた次世代ゲーム機)のモトローラ68000MPUを駈る愛機SEは、YooEdit(テキストエディタ)を軽くドライブし、VJEβの高効率変換に加え、FANレス設計による静穏性によりレポート作成に打ってつけの存在になった。 深夜の静寂の中キーボードが奏でるサウンドだけがBGMだった。 そんなSEにも一つ泣き言があった。漢字talk7(愛称:おにぎり)の重さだった。 私のSEは40MBのHDDを搭載していたのだが、マルチブート環境で使うために20MBずつのパーティション分けをしていたのだが、リュウミンTTと中ゴシックTTを組み込んだKT7は、それだけで20MBの容量を食い潰してしまうほど巨大であった。 プリントアウトするのも重かった。KT7のトゥルータイプ環境でA4一枚プリントアウトするのに10分かかることもあった。 レポートの提出期限時刻1時間前に終わらせたレポートも、5枚プリントアウトするのに50分かかり、時間ぎりぎりになってしまい冷や汗飛ばしながら自転車かっとばした事もあった。彼は動作も安定してくれて、滅多にフリーズすることも無かった。時間ギリギリのプリントアウトでも、フリーズなどでつかえる事なく出てくれるので時間ギリギリ間に合ってくれたのだ。 そんな愛機SEもPowerBook520が来た時に一線をしりぞいたが、その後もいつだって手の届く所に居た。 彼は今でも私のパートナーであるから。 |
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